今晩は美しい三日月が出ている。
そして三日月がでいてる方向には近隣の高級マンション最上階のペントハウスがある。
確か売値は700万ポンドだった、10億円ぐらいだろうか。
海外の投資家にでも買われたのか、ついぞ人が住んでいる様子もない。
アイコンの存在を示すためか、灯だけは毎晩つくカラの箱。
2面が総ガラス張り、金魚鉢のような億ション越しに見る三日月。
昔の人は何かもの凄〜く素晴らしい物の価値を表現するのに「値千金」といったけれど、いくらお金を積んでも月の美しさには遠く及ばない。
そう思わせるぐらいに今日の月はことさら不思議なオレンジがかった光を放っている。
三日月なのに何でこんなに明るいのか!?
見れば見るほど不思議な気分にさせられる、それが月。
億ションにいても小さなフラットにいても同じように光を届けてくれる月。
それを感じられることがただ有り難く、何と自分は充たされた瞬間を与えられたのかと思う。
昔読んだもので、「月と6ペンス」というのサマセット・モームの小説があった。
パリの生活を捨て、タヒチに移り住んで絵を描き続けたゴーギャンの生涯を描いた話。
芸術と世間。
自然に見る価値と都会で人が作り出した物の価値。
人知を超えた高み象徴する月と世俗的なアイコン。
月とペントハウスを見比べて、ああこういう事かなあ、と思った瞬間にフラッシュバックがあった。
あの小説を読んだ遥かに遠い10代の頃のワタシと、すっかり世俗にまみれた今の自分が一瞬つながったような気がしたのだ。
正直言って当時、ワタシの頭ではちーとも理解できなかったし、意地で一応読み終えたものの面白くも何ともなかった。
そしてずっと忘れていた。
でもそのフラッシュバックはとても不思議な感覚で、小さな文庫サイズにしては厚めの本を手に持った感触までが戻ってきたようだった。
それもこの月の光の成せる技かもしれない。
人は何に価値を見出すのか。
別に正解不正解がある訳ではないけれど、それを選ぶのは自分に他ならないのだなあ。
いや〜、月って本当に人をセンチメンタルにしますね。
あの億ションだって、別にあげるよとか言われたら、即「ハイ喜んで」と遠慮なくいただきますけど。
しかし「地上の楽園」のあらかたが観光地された現在、ロマンティシズムの行き所も月ぐらいじゃないでしょうかね。今のところ。
あ、でも月を他の惑星に行くための中継地点とする「ムーンベース」建造計画が進行中だそうです。
もう月も実用化される時代が来ちゃうのか?
そんな風になって欲しくないけど〜。
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