思った時、父はそこにいる
毎日楽しみに読んでいるほぼ日ウェブサイト、
糸井重里さんによる巻頭エッセイ「今日のダーリン(7月11日)」に、3年前に亡くなった糸井氏の親友であり前任天堂社長だった岩田聡さんのお墓に参られたことが書かれてた。
その中で「ああそうだよなあ」と共感したのが、普段の生活の中にも「彼がそこにいる」ということ。
その感じは自分の生活の中でもよーく分かる。
毎週末の家族ズーム会議で
毎週末の恒例となった日本の家族とのzoom会議。
最初は慣れずに操作に時間がかかった母も今ではすっかり慣れ、スムーズに運ぶようになった。
zoomに中々ログイン出来なかったり、音声がつながらなかったり。
その原因は大体母が慌てているのが原因だ。
思った通りにならないとタブレットの画面をあれこれ触ってしまう。
すると起動しかけていたものがオフになったり、要らないものがスタートしてしまったり、色々と起こって欲しくないことが起こる。
タッチパネルの便利な反面、面倒なところでもある。
母と「そこにいる父」
もう10年以上も前に父が亡くなってから母は一人暮らしだ。
70の手習いでパソコン教室に通い始め、最近ではプログラミングまで始めた母ではあるが、初めてのものにはまだ時間が掛かる。
元々せっかちな性格でもあり、「考えるより行動」の人でもある。
WiFiがうまくつながらない時などは待っちゃいられないのだ。
一方、父は「石橋を叩いても中々渡らない」どころか、時々叩きまくって壊してしまうような人だった。
何事にも慎重で几帳面で、それゆえ臆病なところもあり、行動までに時間のかかる性格だった。
何事かあれば直ぐにでも飛び上がり、後先考える前に取りあえず動きだそうとする母に父はよく、
「落ち着け!」
と言っていた。
「とにかく落ち着け!」
見えないけど、「いるいる、そこに!」
母と妹とでzoom会議をしている間、母の画面に不具合があってアレコレ慌てている時に、

なんて会話をして笑う。
こういう時「いるんだな、日々の生活の中に」と思う。
なんだかそこにいる、それだけのことなんだけどね〜。