聖徳太子の肖像は死後百年後に描かれた想像画!?

聖徳太子の肖像は死後百年後に描かれた想像画!?

新一万円札に描かれる肖像画が、今年の大河ドラマ「青天を衝く」の主人公にもなっている渋沢栄一になるという。

「また変わるんだあ、でもナゼ?」

今の人には福沢諭吉が当たり前で馴染みが深いに違いない。

だが昭和世代にとっては、1万円札といえば聖徳太子の印象が圧倒的に強い。
それはもう、「お金 = 聖徳太子」ってくらい。

聖徳太子の肖像画は死後100年以上経ってから描かれた!?

歴史の教科書にも最初の方に出てくる聖徳太子の肖像画。
けれども、実はあれは彼の死後100年以上経ってから描かれた物だというのだ。

読売新聞オンライン・”謎だらけの肖像画「聖徳太子二王子像」が信仰のシンボルとなるまで”の記事を読んで初めて知ったのだ。

当然写真も何もない時代、つまり想像画だったのだ。
キリストやマリア様、聖人たちを描いたヨーロッパの宗教画みたいなもじゃないの。

作者は中国から訪れた絵師?

そしてあの絵の作者は唐人、中国の人に描かれたものであるらしいという。

最初にこの疑問を投げかけたのは、平安時代の学者で仏教美術の研究家でもあった大江親通(おおえのちかみち)。

彼があの肖像画の描き方や構図、太子のつけている衣装などを見て、
「これは日本人が描いたものではないな」と推察したらしい。

そもそもこれが聖徳太子像なのかどうかもアヤシイというのだ。

作者は中国から訪れた絵師?

そしてずっと降って1200年代、法隆寺の幹部僧の一人だった顕真が、「この聖徳太子像は来日した唐人の絵師が描いたものだ」と著書「聖徳太子伝私記」に記しているという。

それも聖徳太子が「現れた」姿を見てそれを描いたものだ、という。
いきなりの展開。

なぜ聖徳太子を描いたのが唐から来た絵師だったのか、なぜそれが法隆寺にあるのかは、記事にある推察文を読んで欲しいけれど。

大事なのはなぜ肖像画がわざわざ聖徳太子のずっと死後になって、そんなエピソードをつけられたのか、ということだ。

聖徳太子の肖像画は何のために描かれたのか?

これに対する一番もっともな説明は、「法隆寺の修復及び仏舎利殿の建立資金を集めるためのプロモーションだった」という。

当時の権力者であった関白・九条道家の兄・慶政は聖徳太子に傾倒しており、法隆寺の興隆に尽力していたという。
サイドキックには法隆寺の幹部僧の一人・顕真も活躍した。

「法隆寺の興隆」
もちろん大きなお金の要る話だ。

肖像画に合わせたエピソード創り

慶政、顕真は、その資金集めの段階でいくつかの「ものがたり」を創った。

絵師の前に聖徳太子が「現れた」とかね。
(わざわざ「応現した」という物々しい言葉を使っている)

彼らは聖徳太子にまつわる数々のエピソードを元に新説を打ち出し、既にある絵にも「大きな意味付け」をした。
「ご開帳」して公開したり、貴族の家を回りプロモに励んだという。

それらに感動した貴族から寄進を募ったのであろう、ということだ。

「ものがたり」が人に感動を呼ぶ

この辺、最近はやりの物の売り方とよく似ている。
ものの差別化を図るために、その生産過程、プロセスをアピールする。

「そうかこれにはそんな意味があったのか!」って。

そこに人が感動し、共感する。
千年経っても人は変わらないものだなあ、とつくづく思う。

おかげで今も法隆寺を見ることができる

慶政、顕真がものがたりを「でっち上げ」したからと言って、責める理由はない。

寺の修復や仏殿建立には莫大な資金がいることだし、お金を出してもらうにも喜んで寄進してもらうのが一番だ。

この二人の奔走のおかげで寄進も信者も多く集まり、さぞかし役に立ったに違いない。

そうして私たちは「世界最古の木造建造物」でありながら、今も美しく保たれている法隆寺を拝観することができるのだ。

法隆寺は本当に、日本が世界に誇れるものの一つには違いない。
山岸涼子の傑作「日出処の天子」を抜きにしても素晴らしい歴史の遺産だと思う。


欲しい!コレ

お金イコール聖徳太子?

世界遺産から再び下世話な話に戻りたい。

聖徳太子から福澤諭吉に切り替わった一万円札を初めて手にしたときには、
「なんかお金のありがたみが薄れたような気がする」
と勝手に思ったものだ。

別に価値が変わるわけでもないのに。
それぐらい馴染みの深い顔だった。

使ってこそのお金、と太子も言っている!?

そういえばデザインが切り替わってからも、しばらくは聖徳太子の1万円札を数枚「記念に」とっておいたのだった。

「あれはどうしたのだっけ……」

しばらく考えて、思い出した。

「役立ててこそのお金」とアッサリ何かに使ってしまったのだったなあ。

最後のありがたい「聖徳太子」を何に使ったのかも覚えてないなんて、なあ、もう。

聖徳太子と渋沢栄一の不思議な縁

ところで新一万円札の顔となる渋沢栄一氏。
100年前の「聖徳太子の1300年忌」で奉賛会の副会長を務めていたのだとか。

将来、一つ飛んでとはいえ、太子の後を継ぐ形になるとは、思ってもいなかっただろうなあ〜。