映画「南極料理人」はとにかく出てくる料理がどれもとびきり美味しそう!
映画「南極料理人」。
堺雅人主演、沖田修一監督・脚本。
南極の、昭和基地からさらに1000km内陸に入ったフジ観測所が舞台。
年間平均気温マイナス50度、ペンギンどころか風邪のウィルスさえ存在しない極地。
そこで観測や調査、研究の為に1年3ヶ月もの間をともに過ごす8人のスタッフの日常を描いた話だ。
閉ざされた生活がコロナ禍のロックダウンと重なる?
特に大事件が起こるわけでも、飛び抜けたキャラがいるわけでもないが、コレが超〜面白い映画だった。
面白いと思ったポイントは主に3つ。
個性は揃いの俳優たちが、極限の閉ざされた空間で織りなす掛け合いが笑える〜。
生活のハイライトのてっぺんにある毎日の3度3度のの食事がものすごーく美味しそう!
狭い空間に閉じ込められた、長きに渡る生活がコロナ禍のロックダウン生活と重なる。
俳優のキャラが際立つ!
望んで南極に来たわけでもない料理人である主役の堺雅人を含めて、他にも個性的な俳優陣が揃っている。
ストイックなようでオモロかしい、雪氷学者を演じる生瀬勝久、
ボクの体はラーメンで出来ている、と言う隊長のきたろう、
裸で豆まきの鬼をやらされるアシスタント観測員の高良健吾、
このまま南極に2、3年いても構わないとサラリと言うマッチョドクターの豊原功補、
などなど、それぞれの役割がハッキリしていて、彼らが創り上げる世界感がとてもリアルに伝わってくる。
ビフォーインターネットの時代
時は1998年、まだインターネットも発達していない時代。
新たに入ってくる情報だってファックスが中心という閉ざされた世界だ。
1日の労働が終わった後の娯楽といえば、100万回は見たであろうビデオや漫画、麻雀、狭い場所での卓球やボーリング、そして飲むことぐらいしかない。
観測所は狭く、倉庫のようなプレハブ的な作り。
トイレを含んだプライバシーもなく、狭い空間で男8人がむさ苦しい〜感じで暮らしているのだ。
そんな厳しくも新しい刺激の入って来ない生活の繰り返しの中で一番のハイライトといえば、やっぱり食事の時間。
この生活に変化と喜びと満足をもたらしてくれるものといえば、毎日出されるゴハンに他ならいのだ。
お湯も沸騰しない環境で8人分のご飯を作る
フジ観測所は富士山よりも高い標高に位置し、低気圧でお湯も最高80度までにしか湧かない。
普通にご飯を炊いたりパスタを茹でたりしたら、芯が残ってしまう。
そんな環境で毎日違うメニューを提供し、季節の行事にはそれらしいものを出す。
隊員たちの健康に気を使いながらも彼らが食べたいもの、喜ぶものに極力添おうとする。
あ、アレが足りない、と近くのコンビニに走ることもできない。
これがどんなに大変なことか、気を遣うことか。
ズボラな私には想像を絶する!!!
この料理人を堺雅人がいい感じに演じている。
行きたくもない南極にある日飛ばされる
彼は特に際立ったキャラでもないので、唯一あだ名で呼ばれず「西村くん」と呼ばれている普通のおじさんだ。
(スタッフの中ではアシスタント君に次いで二番目に若いけど)
海上保安庁から、怪我で行けなくなった予定隊員の代わりに急遽飛ばされることになった。
彼には子供が2人おり、奥さんも子育てで大変な時期。
それが当人の意思とは関係無く不本意に1年以上、まともにコミュニケーションも取れないところに送られることになる。
風邪ウィルスさえ存在しない極寒の地
そこはまさに極限の地。
内陸にあるので、周りに見えるのは空と凍った大地だけ。
それも見えるのは日が出る季節だけで、夏になると真っ暗な闇に包まれた日が続く。
外はマイナス70度、気軽に外の空気も吸いに出れない環境。
宇宙船で生活しているのとそう変わらない生活だ。
南極での生活はまず水の確保から
まず1日の労働がキツい。
それぞれの分野の仕事の他に生命維持のための仕事がたくさんあるが、その中でも大変なのが水の確保。
氷を割る電動の機械などなく、全員総出でスコップで固い氷をザクザクと割ってバケツに詰める。
それを室内で溶かして生活に必要な全ての水を賄うのだ。
貴重な水は極力最小限に使う。
タンクの水が25cmも減った!誰が使ったんだ!と大騒ぎされてしまう。
南極マイナス70度の現実
作業もうっかりすると凍傷にかかってしまう。
何しろお弁当を外の車にいる作業員にはしって届ける間に、中のおにぎりが凍ってしまうくらい外気温が低いのだ。
作業現場ではおやつのドーナツをガリガリを音を立てながら食べていたり、もう半端な寒さではない。
そんな毎日の中で3度3度美味しいご飯が食べられることが、どんなにありがたいか。
特に感謝を表されるわけでもないけれど
もっとも調査員たちは毎日供されるご飯を何の感動もなく黙々と食べるだけだ。
「わあ美味しそう」も、
「コレ美味しいね」も、
「美味しかったごちそうさま!」の一言もない。
ガツガツと奪い合うように食べるときだけ、ああ美味しいと思って食べてるんだな〜ぐらいなもの。
だがそこに別段感謝の意思表示はない。
それでも西村くんは、朝から何品もの品数を作り、丁寧に盛り付けて出し続ける。
1回だけ料理を作らなかった日
和食、フランス料理、中華、全部本格的でどれも超美味しそう。
スタッフの誕生日にはメッセージを入れたケーキまで作ってしまう。
食事の支度には「休みの日」がない。
コンビニ弁当もなければピザの配達もない南極には代替えというものが一つもない。
それを黙々と続ける、毎日毎日。
これがどんなに大変なことか、やってみなければ分からないことだ。
そんな西村くんが、ある「事件」で一食だけ料理を作らない日があった。
日頃の我慢の限界を超えさせてしまったその「事件」とは?
それは是非映画をご覧あれ。
ちょっと泣けるよ、西村くんの気持ちをくんで。
観測所で我慢&ガマンの生活
当然ながら、西村くんを含めて、隊員たちはものすごーく我慢して生活している。
仕事はきついわ、
閉鎖されてるわ、
刺激はないわ、
楽しみも大してないわ、
シャワーも満足に浴びれないわ、
おまけに遠く離れた家族や恋人と心の距離まで生まれてしまったり…
(インターネット以前なので、日本への電話は1分750円ぐらいかかる!)
スタッフによっては、ある日その我慢が続かなくなってしまう時がある。
我慢の限界点に達して、ポキッと折れてしまう瞬間があるのだ。
そして思わぬ行動に出てしまったり…
コレがもう、可笑しくも哀しくもあり、(人ごとだからね)つい笑っちゃうんだけど。
どんなに嫌になっちゃっても迎えが来る日までは何処へも逃げ場がない、万に一つもない。
仕事に何を求められるか、求めたいか
この映画を見ていてつくづく思ったんだけど、仕事を続けるというのは大変だなあ、と。
この映画は極限での話だけど、普通に生活していたって同じように煮詰まっている人たちはたくさんいる。
逃げ場がないと苦しんでいる人たちはいくらでもいるに違いない。
外の仕事だってそうだし、家庭内だったら尚更そうだ。
仕事は楽しんでやれれば最高。
でも楽しいだけでは仕事にはならない。
自分の好きなようにだけやっていればいいと言うわけにはいかないからだ。
「役に立つ」と「好き」は共存できるか
人や社会の役に立ってこそ仕事として認められる。
自分だけのためにやっているならそれは趣味というものだ。
自分の「好き」や「楽しい」と「人の役に立つ」「誰かに喜ばれる」がいつも一致していれば幸せだけれど、必ずしもそうはいかない。
てか、そうなる方が珍しい。
自分の思いが独りよがりだったり、受け取る側の期待に添うものではなかったり、そんなことはいくらでもある。
個人個人の思いもあれば、その時の状況が変わることもある。
会社であれば、不本意な役割を振られてしまうこともよくあること。
(南極に移動は珍しいかもしれないけれど)
家庭だったら家族に起こり得るトラブルがいくらでもある。
(おまけに逃げ場ゼロ)
「こんなはずじゃなかった!」とある日思った時
「そんなはずじゃなかった!」
「こんな目に遭うとは想像もしてなかった!」
なんてことはいくらでもあり得るのだ。
そこに「こんなに自分は頑張ってるのに」は全く評価されない。
受け取る側には結果しか見えていないのだ。
外の社会なら他人同士、仕事仲間ならプロ同士。
家族同士だったら、その近さから来る確執や甘えに縛られることも多い。
ある日来る「我慢の限界」
そこで挫けたときに立ち直るのは、自分で「工夫」するしかない。
面白くないものの何を面白くできるのか
「我慢と忍耐」だけでは長くは続かない。
自分がちっとも幸せになれないから、ある日折れる。
日々続く仕事の中で自分を満足させるには何をしたらいいのか。
相手の要望に応えながら自分も満足を得られるポイントはどこにあるのか、
面白くないことをどう面白くしたら良いのか、
何を幸せと自分は感じられるのか、
それを探し続けるしかない、自分で。
もうこれを「工夫」以外、なんと呼べば良いのか。
コロナ禍でも南極よりマシ?
それにしてもこの映画をコロナ禍のロックダウン状態で観るとは、何という巡り合わせだろう、と思った。
イギリスも1年前は「外に出たら死ぬ」ぐらいの緊張感があった。
人々がパニック買いに走り、生活必需品が満足に買えない日が続いた。
今現在はワクチン接種が広がってきて、規制もだいぶ緩んだが、
あるものでやりくりして、外に限られた時間だけしか出ない基本生活は今も変わらない。
「南極観測所」に通ずることも多少あるかな、と思う。
インターネットもあるし、あ、あれがないわ、で近所に買い物には行けるのだから、あの状況に比べたらずっと楽には違いないけれど。
唯一、観測隊員には何日と決められた期限があった。
コロナ禍にある私たちにはこの日さえくれば、というのはない。
そこがなー。
辛いと言えば辛いし、今できることをを淡々とやるしかない。
後になって振り返れば
映画の最後では、日本に戻った西村くんが、南極に自分がいたことを「ウソのように」感じる。
これはよーくわかる。
どんな極限状態にあっても、一旦日常生活に戻ると今度はそれが当たり前になってしまうのだ。
私たちもいつか何年か、何十年か経った先に、
「あのコロナ時代は何だったのだ」と思う日が来るのだろうか。
そんなことを映画を観てからぼんやり考えた。
絶対ラーメンが食べたくなるよ!
あー、それとね。
美味しいラーメンが食べたくなった。
映画のフードコディネーターは飯島奈美さん。
「かもめ食堂」の仕事もなさってる。
「ふつうのごはん」をものすごーく、ものすごーく美味しそうに作る名料理家だと思う。
もうあの映像は、罪だな。
それぐらいちょおおおおおお食べたくなりますよ、映画を観終わった後にラーメンを。
「南極料理人」、コロナ禍で煮詰まっっている人に特にお勧めです。