リトル・トリー(フォレスト・カーター著)をあなたならどう読む?
「リトル・トリー(フォレスト・カーター著)」を知っていますか。
日本でも学校推薦図書に入っているようだし、過去に映画化もされているので話の筋を知っている人も多いかと思う。
リトル・トリー あらすじ
5歳で孤児となったインディアンの血を引く男の子が、親のお葬式で初めて会う祖父母に引き取られる。
(おばあさんはインディアン・チェロキー族の娘、おじいさんはインディアンとスコットランド人のハーフ)
村から離れた山小屋での生活が始まります。
男の子はリトル トリー(Little Tree)と呼ばれ、祖父母から惜しみない愛を受けて育っていきます。
2人の愛情は猫可愛がりではなく、子供に役割を与え、自分で判断させる。
行動させ、見守る。
その距離感が素晴らしくいい。
おじいさんとおばあさんは自然の中で生きる知恵をたくさん持っています。
何より自然を敬い、共存していく大切さを知っている。
そこから生まれる言葉が人生の哲学となって語られ、リトル トリーの中に吸収されていく。
常に自然と共にあるインディアンの教えは、多分昔の日本人もそうだったんじゃないかな、と思わせるようなものも多い。
彼らの考え方がとても東洋的で、それらがとても馴染みよく心に入ってきます。
アメリカンインディアンが持ち続けた誇り
この「リトル・トリー」、以前古本で買って、しばらく忘れていたままでした。
”感動したので友達に贈るために20部注文した”という倉本聰氏の推薦文が載った帯までついていた。
(「大自然と子供の成長」をテーマにした「北の国から」と関連させた出版社の意向が伺える。)
これを最近読んだのですが、ちょっと頭をガツンとやられたような感じ。
子供向けに書かれた読み物ではあるけれど、内容がとても濃い。
本ではインディアンへの迫害の歴史や、社会でのユダヤ人への差別意識にも触れています。
先祖代々住んでいた土地を追われ、厳しい生活を強いられる人々。
話の中に書かれている歴史部分はドラマとして描かれているので、必ずしも史実とは一致していないらしい。
それでも辛い迫害の歴史の中で、どうインディアンが自分たちの生きる道を選択し、誇りを持ち続けて来たか。
これらの描写は読み応えがあります。
「自伝」それとも「フィクション」?
ところで!
リトル・トリーは最初「自伝小説」として発表されたのが後に「フィクション」と分類され直されている。
一体フォレスト カーターってどんな人だったのだろう、とググってみました。
そして驚きの事実が………
この事実が、感動作品を書いた作者のイメージとあまりにかけ離れていたのがちょっとショックだった。
それでしばらく頭の中で放っておきました。
でも、モヤモヤするので書いてしまおうと思った。
作者の意外すぎる素顔にショック
アラバマで生まれ育ったカーター氏。
先ず孤児ではなく両親も兄弟もいました。
そして何よりもショックだったのは、カーター氏はあの悪名高き人種差別集団「KKK」のリーダーだったというのです。
KKKってテレビや映画などで見たこともあるでしょう。
全身白い衣装をまとって三角帽子を被った人達、南部アメリカの人種差別がらみの悪名高き超過激グループ。
それも1950年代の話。
黒人への差別と暴力が激しく、それも公然と行われていた時代です。
作者カーター氏の意外過ぎる素顔
え、え、え?
同じ人物の話だろうか?
と何度も読み返してみました。
でもそうだったんです、記録によれば、の話ですが。
その後カーター氏は政治に入り、白人至上主義の立場を取って活動しましたが、政治的には全く成功しなかったそう。
作家に転向したのはその後。
テキサスからフロリダに居を移し、名前をアサからフォレストに変えていました。
彼の小説は70年代に出版され、人気を呼びます。この時カーター既に42歳。
その内のJosey Walesはクリント イーストウッド主演で映画化されました。
そしてリトル トリーが「自伝的小説」として出版され大評判を呼びました。
一躍有名になった後、カーターが50年代と60年代に人種差別主義を掲げて精力的に活動していた過去が明るみに出て、大変な非難を浴びたとあります。
(それはそうだろう!)
そして「リトル・トリー」もフィクションとして分別されるようになりました。
カーターはほんの4作を残し、54歳で突然死しています。
(これについても良からぬ話が付いて回っています。どこまでが本当かは分からないけれど)
「リトル・トリー」の分かれる評価
何かなあ。
「リトル・トリー」については、アメリカの評としては、
「素晴らしい!胸を打つ感動的な話」というのと、
「如何にも世間に受けそうなテーマを元に書かれた、都合よく出来過ぎな話」というものに分かれているらしい。
確かに1エピソード1エピソード、「大草原の小さな家」のテレビシリーズ風によくまとめられたドラマ仕立てにはなっていると思う。
「人が好きそうな話」と言われてしまえば、それはそうかも知れない。
登場人物の魅力は変わらない
それでも小説で描かれるおじいさんとおばあさん、彼らの友人は本当に魅力的です。
彼らがリトル トリーに語って聞かせる言葉には、人が人として生きるのに何が大切かが込められている。
豊かに生きるというのは、お金や物を持っているのとは全く別の次元の話だと教えてくれる。
愛情で人と人とが繋がるのがどんなに素晴らしいことなのか教えてくれる。
作者の素顔と作品のギャップに悩む
アメリカの人気TVパーソナリティー、オプラ ウィンフリーは、彼の作品を素晴らしいと一度は高く評価していた。
しかし彼の過去を知って
「作品は良くてもやはりこの事実を知りながらは受け入れられない」
と自分の推薦本からは外したそうです。
うーん。
やっぱりそうだろうなあ。
フォレスト カーターの話は、多分私が無知なだけだったで、読書家の間ではすでに知られた事実だったのでしょうね。
他にも「チェロキー・インディアンの間違った歴史を伝えている」などの批判を受けています。
それにしても。
「リトル・トリー」の読後の感動と、作家自身が極端な人種差別主義であったという事実のギャップが激しすぎる。


本当のところは誰も分からない
カーターがこの話を贖罪のために書いたという人もいるけれど、そういうものなのだろうか。
どちらのパーソナリティーも1人の人の中に存在していた、と考えるのも納得がいかない。
それとも政治で失敗してから居を変え名前を変える経過で、彼の人生観を一変させる何かがあったのだろうか。
これも分からない。
こんなこと知らなければ本を読んで感動しただけで済んだかも知れないのに。
誠に人というのは分からない。
でも「リトル・トリー」、読んで感動するなと言われても、やはりワタシとしては涙なしには読み進められない。
特におばあさんがね、素晴らしいんですよ。
普段は控えめで穏やかな読書家、誇り高きチェロキーの娘のおばあさん。
それが、リトル トリーを救うために毒蛇に噛まれたおじいさんを助ける時の、決断の早さと行動力の潔さといったら。
もう、カッコいい。
おばあさん、カッコいい。
この数日間、感動したり、谷に突き落とされた気分になったり、感情のジェットコースターのような日々を送りました。
知らない方がいい事実、っていうのもあるのかも知れない。かな〜。