芸術はナゼ人間に必要なのか?
なぜアートを欲するのか?
芸術は人間に必要なものだ!と私は信じている。
でも一方、芸術なんか全然わっかんねーし、興味もねーわ、腹の足しにも何ねーし。
そう言う人も結構多いのも事実だ。
「芸術」、「アート」と呼ぶから敷居が高くなってしまうのだ
別に美術館に飾られている作品やクラシック音楽、古典小説や帝劇で演じれられるものだけが芸術作品ではない。
身近な音楽、身の回りのものでも人が手をかけエネルギーを注いだ作品はいくらでもある。
街のケーキ屋さんでも、
町内祭の舞台でも、
テレビから流れてくるJ-popや演歌でも、
民芸店で見つけた編みカゴでも。
形のあるもの、ないものでも人が生み出したものの中に感動を見つければ、それは自分にとっての芸術なのだ。
吉本ばななさんによる見事な回答!
ではナゼそれがそんなに私たちにとってそんなに大事なのか?
どうして生きるのに不可欠なのか?
ほぼ日に掲載された「私と芸術、私と友情。」で吉本ばななさんがその答えを見事に解説していた。
人の心は外に出ている顕在意識と内に隠れている潜在意識でできている。
顕在意識とは、はっきりと自分で考えて、行動することができる意識のこと。
論理的な思考や判断力、これは顕在意識(表面意識)からくる。
潜在意識とは、顕在意識の水面下にあって普段は意識していない部分。
私たちの心を大きく支配している意識である、といわれている。
心のモヤモヤをはっきりさせたい!
何だか分からないけれどモヤモヤーっとする、
こうした方が良いと頭では分かっているのに、どうしても前に進めない、
逆にダメだと頭で分かっていても、何がなんでもやり遂げたいと思う、
これら全部潜在意識からくるものだ。
説明できないしモヤモヤする!
分かっているのにコントロールできない!
そんな気持ちは誰にでもあるはずだ。
潜在意識には「自覚」がない。
自覚がないからモヤモヤする。
モヤモヤを発散する力?
このモヤモヤを「発散」させてくれるのが芸術の力だ、とばななさんは言う。
芸術において、自分では説明のできない感情を人が色んな形で表現してくれる。
それは小説だったり絵画だったり、ホラー映画だったり、何だってありだ。
それを見て、聞いて、感じて、人は心が満たされるのだ。
自分では説明のつかない気持ちを誰かが代弁してくれる。
ああ、こう言うことを感じていたのは自分だけではなかったのだと共感して安心もできる。
モヤモヤしていたものが共感の力によって外に出ていくのだ。
芸術が心のバランスを保ってくれる?
そう言うものがなければ、人はアブナイ方向に向かっていってしまうかも知れない。
モヤモヤの負のエネルギーを昇華できずに、あらぬ行動に走ることもある。
心のバランスを保つために、芸術は人にとって大切な役割を果たしているのだ。
この辺をばななさんが、サラリと実に分かりやすく説明してくれる。
ああそうだよなあ、と納得することしきりだった。
(このインタビューは横尾忠則さんについてのことであった。
父上吉本隆明さんのことにも触れていてとても面白い!インタビュー・リンク)
しかしなぜ「芸術」って聞くと突然難しいことのように感じるんだろう。
これも小さい頃からの、学校教育が積み重なってできた潜在意識のせいだろうか?
教科書に載っているものだけが芸術ではないと気がついたのは大人になってからなのかも知れない。
見回せばいくらでもある!
世界には、多くの人がエネルギーと時間を注ぎ込んで生み出した作品が溢れている。
受け取る気持ちがあれば、誰でも公平にそれらを享受できる。
何千年前のものから現代のものまで、今はインターネットという素晴らしい機器があるからアクセスも可能だ。
心のバランス、大事にしたいよー。