93歳で現役の「餅ばあちゃん」こと、桑田ミサオさん
75歳で起業、93歳現役、津軽で笹餅作りを続ける「餅ばあちゃん」こと、桑田ミサオさんの特集を「プロフェッショナル・仕事の流儀」で見た。
プロフェッショナル:笹餅屋桑田ミサオさん
この笹餅、大変な人気で、取り扱う地元のスーパーでは昼には完売してしまう。
ローカル線でも車内販売しているが、これを求めて遠くから買いに来る人も多いという。
こんな人がいるんだ!
あまりに可愛らしく、恐ろしく強い、そんなミサオさんのドキュメンタリーだった。
全てを自分でこなす93歳の現役
ミサオさんは笹餅作りの工程を材料作りから全てこなす。
野にわけ入り笹の葉を一日500枚採り、形を整え、1枚1枚丹念にしごき洗いをする。
自らが畑で作った小豆を煮てこしあんを手作りする。
餡子を混ぜ合わせた餅を蒸し上げ、一つずつ手でちぎり、笹の葉に包んでいく。
それをまたもう一回蒸し器で蒸し上げる。
冷めた笹餅を2つずつビニール袋に入れ、商品として仕上げる。
年間5万個を生産するそうだ。
淀みなく続く重労働、でも楽しそう
かなりの重労働に加えて、小さな笹餅にこれだけの工程が入っているのだと驚くが、それをミサオさんは淡々と一人でこなしている。
「こんなに仕事したって、幾らにも(お金には)ならないんだけど」
そう笑いながら、仕事をしている様子がとても楽しそうなのだ。
「10本の指は黄金の山よ。手を使って仕事を続ければ一生食べるのには困らない」
夫亡き後、女手一つで4人の子供を育てあげたお母様の言葉だそうだ。
確かに一つ一つの作業で、特に蒸し上がったお餅を素早く均等にちぎっていく彼女の手さばき、指の動きはとても美しい。
笹の葉でクルリと餅を包む、鮮やかな緑の三角形が幾何学模様のように整然と並べられていく。
一連の作業に全く淀みがない。

喜んでくれる人がいるから作る
ミサオさんは子供時代、肺の病気で学校も満足に行けなかったそうだ。
それが今は手を使い、頭を使い、体を使い、毎日休みなく驚くほどの仕事量をこなしている。
19歳で結婚し、2人の子供を授かり育てあげる。
保育所の仕事を60歳で定年退職。
友達に誘われ養老施設を訪れた際に、手作りの笹餅を持参した。
その笹餅を涙を流して喜んでくれる人がいて、ああ、私がやりたいのはこれだ、と強く思ったという。
75歳で笹餅製造会社を起業
直売所などに出し人気を集めるとやがて評判をよび、地元スーパーなどから売りたいと請われるようになる。
商品として扱われるには製造元がはっきりする必要があり、会社登録に至ったという。
75歳での起業だ。
以来20年近く、もっと美味しく、もっと喜ばれるように、と試行錯誤を続けているという。
私はこういう話を聞くと、ものすごく感動してしまう。
ミサオさんは彼女が好きな仕事をすることで、大勢の人を喜ばせ、自らを幸せにしている。
なんという豊かな人生を生きておられるのだろうか。
家族の介護をしながらの作業
ドキュメンタリーの制作中、一緒に住む息子夫婦が2人とも癌に侵されるという厳しい現実があった。
以来、ミサオさんが工房で仕事をしている合間に何度も本宅から電話がかかり、その度に家族の食事やトイレの介助に出ていく。
仕事に戻ってはまた電話が入り、「ハイハイ今行くからね」とまた本宅に戻っていく。
「こういう時は仕方がないから」
と穏やかに言いながら、明らかに頭の中をいろんな考えが駆け巡っている。
子供達が心配なのもあるだろうが、とにかく仕事に全く集中できないでいる焦燥感が顔に表れている。
誰に強いられる訳でもなく
そんな彼女が取った行動は、夜中2時半に起きて笹餅作りの仕事を始めるというものだった。
それなら昼間は介護に集中できる。
いくら精神力が強いとはいえ、90を越した老体だ。

「疲れないというわけではないけれど」
そう言いながら、夜中に笹餅作りに勤しむミサオさんの顔からは、誰にも邪魔されずに自分の仕事に集中できる充足感が感じられる。
この仕事をやりたい、やらなければならない。
誰に強制されるわけでもなく、そんな気持ちが湧き上がってくるのだと思う。
「こんな時に、仕事があるってありがたいな」
仕事があるからこそ、今のこの難しい状況を耐えて行けるのだ、と仰る。
その通りには違いない。
でもテンパってる感が全くない、とにかく自然体なのだ。
ミサオさんはそれがやりたいのだからやっているのだ。
今起きていることを事実として受け止める、
今自分ができる事に力を集中する、
今あることに感謝してそれを楽しむ。
簡単なようで中々出来ないことをサラリと体現している。
お母様との温かい思い出
ミサオさんは、よくお母様の話をされる。
いくつかあるが、特に心に響いたエピソードがあった。
それは彼女がまだ若い頃、お母さんと2人畑仕事に出た折のこと。
昼休みの時、ミサオさんは疲れてうたた寝してしまった。
しばらくして目が覚めた時、お母様は一人で黙々と草むしりをしておられた。
「なんだ、起こしてくれればよかったのに!」
そう言うミサオさんにお母様は、
「あんまり寝顔が可愛かったから、起こしてしまうのがもったいなくって」
と笑って仰ったそうだ。
まるで映画のワンシーンを見るように、その暖かい空気感が伝わって来るエピソード。
ミサオさんにとっても「今でも思い出すと涙が出る、忘れられない思い出」だそうだ。
生活は貧しかったそうだが、お母様の惜しみない愛情に包まれて育った様子がありありと伝わって来る。
お母様はご主人を早くに病気で亡くされた苦労人だが、グチの一つもこぼしたことがなかったという。
その優しさ、強さが娘のミサオさんに見事に受け継がれている。
愛情は次へ次へと受け継がれていく
愛情というのはいつまでも生き続けるものなのだな、とつくづく思う。
それが形を変えて現れ、
人に伝わり、
また違う形で別の人に伝わっていく。
ミサオさんのように
「自分の作った笹餅で人に喜んでもらいたい」
というのも、その一つなのだし、
辛い状況にあって自分を見失いでいられる強さも、その愛情に支えられているのだと思う。
お母様はもう他界されたが、受け継がれた愛情はこうしてミサオさんの仕事に生きていて、他へ他へと伝わっている。
「笹餅」に会いに青森へ!
ミサオさんは撮影中に93歳の誕生日を迎えられた。
畑での小豆作りはその後やめたそうだが、笹餅作りはもちろん続けている。
私もいつか青森まで出かけて行って食べるチャンスがあるだろうか。
「笹餅屋」が屋号だそうです、食べてみたい!
ミサオさんの人生が本になっているのを知りました。
これも併せて読んでみたーい。
ミサオさん、それまで元気でいてください。
お願いしますね!