ジョージ フロイドの死から起こったBLM(Black Life Matters)ムーブメントがイギイスにも大きな波紋をよんでいる。
無抵抗の黒人青年が白人警官によって一方的に死に至らしめられた映像はあまりに残酷で、ショッキングだった。
法を守るはずの警察によって白昼堂々と行われていたというのが空恐ろしい。
またそれが特別なことではなく、常軌を逸した人種差別行為は日常いつでも起こり得るという。
さすがK.K.K.が合法的に認められている国、と思わぬでもなかった。
あんな衝撃映像を見せられて腹が立たない方がおかしい。
当然の成り行きとしてアメリカ各地で大きなデモが起こり始めた。
アメリカで始まった激しいデモはBLM ムーブメントとなり、これまた自然の流れでイギリスにも波及している。
様々な人種が住むこの国でも各地で大きなデモ行進が既に行われ、また今週末(6月13日現在)にもウェストミンスターを中心に予定されている。
今までの所、殆どのデモは平和的に行われたが、中には激しいものもあった。
先日は工業都市ブリストルでエドワード・コルストンの像が倒され、港まで引きずられて海に投げ落とされる、というメディアの喜びそうな一幕がありニュースになった。




奴隷商人の像が今時になっても残されていた事自体が驚きだけど。
市に富をもたらしたことや、死後その財がチャリティーに寄付されたことで像を建てる運びになったとか。
ブリストルには彼の名前がついた建物や通りもあるらしい。
(名前の変更については今検討中だとか)
ちなみにブリストル市の現在の市長リーズ氏はアフリカ系の黒人。
市の計らいで後に像は水から引き上げられ、どこかに保管されているようだ、
ブリストル市の多くの人は、街に据えられた古い像が一体誰なのかを気にかけたこともなかったろうなあ、とは察せられる。
でも奴隷商人の像が長く市の中心に存在しており、そのことで傷ついていた人が多くいた事実があったのだと、初めて知った。
実際コルストンの像に対する抗議はここ数年多くあったが、その殆どは無視されて来たという。
この像がデモンスとレイターによって倒されたことは大きなニュースになり、このムーブメントに新たな火をつけたように思う。
デモの中に暴動の勢いが見えるようになって来たのだ。
中にはデモの勢いを借りてユニオンジャック旗を燃やす者まで出てくる、
「いくら何でもやり過ぎではないか?」的な激しさを見せるものもあった。
そして今はチャーチル首相の像を壊そうという計画まで予告されているそうだ。
これについてはロンドン市長が警戒を強めると共に、デモに参加しないよう人々にメディアを通して呼びかけている。
極右翼の暴挙を懸念するだけでなく、このパンデミックの最中コロナ感染が拡大するのを恐れているのだ。
暴力はいつも新たな暴力を生み、いつも新しい攻撃の的を次々に探そうとする。
それがあらぬ方向に向かうことも多い。
「自分が国旗を燃やしたという嘘の事実をツイッターに流された!」
という人まで出て来た。
ありもしない事が捏造され、SNSを通して拡散されるケースが多くなっているという。
意図的に騒ぎを大きくしようとする悪意はいつも出てくる。
また、騒ぎに乗じてここぞとばかりに日頃の鬱憤を晴らそうという人も大勢いる。
特に今イギリスはコロナウィルスでロックダウンが続いており不満が鬱積している。
やる方ない怒りのやり場に加えて外に出る理由を探してる人がたくさんいるのだ。
コロナ感染が減少して来ているものの、緊急事態宣言介助からはまだ程遠いイギリス。
はっきりとコロナで亡くなったと分かっている死者の総計は約4万人。
テストによる新たな感染者は毎日千人以上も見つかっているというのに。
なんかBLMムーブメントが変な風に暴走しているなあ、と思っているうちに…
今度はTV番組や映画にその矛先が向いて来た
最初に驚いたのが、アメリカのビデオ配信会社HBO Maxから「風と共に去りぬ」を配信リストから外したというニュースだった。
黒人奴隷がステレオタイプそのままに描かれている、というのが理由らしい。
(「風と共に去りぬ」好きだったのに!)
すると同じことがイギリスでもドミノ倒しの如く始まった。
黒人をステレオタイプ的に扱ったキャラクターやシーンを含む番組が次々と挙げられ、各配信サービスから取り除かれていったのだ。
その多くはコメディで、中には「ええっ、そんなものまで?」と思うような、80年代の番組まで含まれている。
それも曲解された理由で取り除かれている。


SNSで先に突かれる前に火種となるものは全部摘んでおこう、という配信会社の安全措置が見て取れる。
異様にナーバスになっている。
何だこの、腫れ物に触るようなイヤ〜な感じ。
じゃあヨーロッパの国同士はどうだ?
映画などでもキャラクターは皆な国別のステレオタイプに分かれている。
コメディだろうが、シリアスだろうが、必ずそういう役割を振られている。
(特にハリウッド映画)
イギリス人だとフェアに見せかけて陰険なタイプ、
フランス人だと自己中心的でセ・ラ・ヴィなタイプ、
ドイツ人だと理論的で非情、融通が利かないタイプ、
イタリア人だとやたら情熱的でコントロールが効かないタイプ、
スペイン人だとゴリ押しで残忍、あるいは全く反対に……とこれ以上は語弊があって言葉にするのも躊躇われるほどだ。
(可笑しいんだけど、それが。)
白人同士だから上下は無いだろうって?
あるある、もちろん。いくらでもある。
どの国も自国が一番上で他の国を自分たちより下に見ている。
でもそれをいちいち重箱の隅をつつくように論っていたら、私たちは一体どこへ向かうのだ。
差別はある、どこにでも。
そして絶対に無くならない。
他民族同士はおろか、同じ国の国民同士でだった何かしらの理由をつけて差別しあっているではないか。
階級、収入、学歴、宗教、出身地、疾患、性別、年齢、背の高い低い、何でも差別の対象になる。
身も蓋もない話だけれど、それが人間のサガなのだと思う。
自分と人を区別し、血のつながりや利害関係でコミュニティを作り、自分のコミュニティと他のコミュニティを区別する。
人類が生まれた歴史の最初から、そうやって人はより大きくて強い共同体を作り、己の縄張りを守ろうと他を排除することで生き残ろうとして来た。
イギリスの中ではブラックコミュニティにおける若い世代(多くはティーンから20代前半)同士のグループ間抗争物凄く、このコロナ騒ぎロックダウンが起きる直前までは毎週誰かがナイフ殺傷事件の犠牲になっていた。
差別されている、といわれるその中でもお互い助け合っているかと言えば、そうとも限らないのが現実だ。
せっかく言語という素晴らしい機能を持つようになったのだから、人はもっとそれを活用すれば良いものの。
長年の習慣が抜けないのか、DNAに刷り込まれているのか、何でもすぐに力で相手をねじ伏せようとするのが人の一番悪い所だと思う。
私達はみんな違う。
一人一人違う。
その違いを認め合おう、上下で判断するのを止めよう、それだけのことではないのか?
そんな風に考える私だけが単純なんだろうか?
みんなハッピーに暮らすのが本来の人生の目的なんじゃないだろうか。
そのために他人をちょっとでも思いやる気持ちがそれぞれにあれば、この世はもっとずっと住み心地のよいものに違いないのに。
“Black Life Matters ”は、「黒人の命も他のどの命とも同じように大切だ」というのが本来の意味だったはずだ。
だったら同時に “Every Life Matters・どの命も同じように大切だ” というべきではないのか?
そう強調しなければいけない程に、黒人層は差別され、虐げられてきた歴史があるのは事実だ。
それでもブラックだけを分けて考えていたら、それが良い方に働くとはどうしても思えないのだけれど。



それが今どんどん分断されているように思う。
ヨーロッパでも極右翼が政権を握る国が出ており、排他的な態度が公然と取られるようになっている。
このBLMムーブメントがそれを更に加速させていかなければいい、
本来の「人は皆人として同等に扱われるべきだ」という意味を見失わなければいいと切に願う。
社会に求められるのは「segregation ・分断」じゃなくて「unite・融合」だ。
そんなものは本当は存在しない、ハートがこもっていなければご都合主義の偽善だ、という人もいる。
「見せかけだけの礼儀」結構ではないか、
礼儀とは元々、事がスムーズに行くように存在するのだ。
でもその中に気持ちがちょこっとでもこもっていたらもっといい。
そこで生まれるフレンドシップもある。
「友情」とまではいかなくても、「親しみ」という感情が生まれるチャンスはいくらでもある。
私もイギリスに30年暮らし、そういうものを幾つも体験して来た。
最初から自分に壁を作っていたら、誰ともつながれないのだ、と自戒を込めて思う。
個々のつながりが分け隔ての無いコミュニティになり、快適な社会になったらもっといい。


驚くほど悪意に満ちている人がいる代わりに、感動するほどオープンな優しい心を持った人もいる、たくさんいる。
人を助けるのはいつも人だと思う。
それにしても映画やドラマにおけるこの人種差別シーン探しがこのまま永遠に続かないといいな。
ありとあらゆる有色人種がステレオタイプ、あるいは面白おかしく描かれている映画が排除されたら、映画産業丸ごとストップしなきゃならないんじゃないか?
ルイ・アームストロングがオラウータンの声を当てているジャングルブックはどうなのか?
ケイトが出てくるピンクパンサーだってダメってことになるじゃない!
あれもこれもダメって言い始めたら……
そんなのつまんねー。