「ぼくはでイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の読書感想
本屋大賞受賞作品にも選ばれた「ぼくはでイエローでホワイトで、ちょっとブルー」。
イギリスにお住まいのライター、ブレディみかこさんにパワー炸裂のノンフィクション作品です。
思春期の子供にも親にもお勧め!
一口に内容をいえば、労働者階級の家族が通う学校を通して炙り出されるイギリスの底辺社会層を描いたもの。
息子さんとの関わり合いを通して、そこで生きる人たちが生きる厳しい環境、
それを支えようとするコミュニティーの強さ、
人の優しさたくましさが綴られています。
でも決して堅苦しくはなく、「普通の人々」の生活が生き生きと伝わってくる。
共感を呼ぶこと請け合い、読み始めたら本を置けないですよ!
あらすじ
みかこさんはアイルランド人のご主人と一人息子さんの3人暮らし。
息子さんが小学校からセカンダリースクールに進学しようとするところから話は始まります。
彼が通っていた小学校は公立ではありながらミドルクラスの子供が多く通うカソリックスクール。
ホンワカと恵まれた環境で楽しく小学校時代を過ごした息子さん。
その彼が進学の際に彼が選んだセカンダリースクール(中学高校と続いた6年生の学校)はナント、地元の低所得者層が通う「荒れた校風で成績レベルも低いことで有名な」学校だった……
親が生きる社会がそのまま反映された子供社会。
そこに普通にある「貧困」「差別」「暴力」。
それぞれに複雑なバックグラウンドを抱えたクラスメイトたちとの交流を通して、息子さんが学んでいくものとは?
「イエローでホワイトで、ちょっとブルー」って何のこと?
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ってどういう意味?
イエローとホワイトは多分、肌の色?
なんでそこにブルーが入るの?
そう思われた方も多いでしょう。
読み進めるうちにその意味も分かってきます!
ページをめくり始めたらとにかく面白い!

思春期の息子さんが難しい環境の中で、悩みながらも自分の頭で考えて行動に移していく姿にも感動した。
悩んでいると分かっている子供に親はどう接すれば良いのか
みかこさんが息子さんやご主人、周りの人たちと交わす会話が実にストレート。
イギリス人の家庭は多くがそうだとは思いますが、親も子供も
「これが自分の意見」
「自分はこう思う」
とはっきりモノを言う。
その光景がとてもリアルに伝わってきます。
ボヘミアン文化で有名なブライトンが舞台
舞台はみかこさん一家が住むイギリス南部の地方都市ブライトン。
海沿いにあり裕福な中流家庭も多くある一方移民も多く、低所得に苛む荒れた部分もある土地柄として知られています。
ドラッグカルチャーが蔓延している、というイメージも強い。
言葉は古いけれど、「ボヘミアン・カルチャーの土地柄だよね」なんてよく言われていました。
大学もあるので若い層も多く、バーやクラブも多い。
ロンドンからも近いので海沿いの街に解放感を求めて行く人が多い、と言うのもあるでしょう。
ノートに走り書きされていた言葉を見つけハッとする
息子さんがいわゆる「イケてない」学校に進学するの決めた理由は本に書かれているのですが、それはそれ。
とにかく今までとは全く学校の雰囲気も、同級生のバックグラウンドも違う学校に通い始めるのです。
みかこさんも母としては心配がなかったわけではない。
一方息子さんはそれなりに学校生活を楽しんでいる様子。
ホッとしたのも束の間、ある日彼女は息子さんの学校ノートの端に走り書きされたこんな言葉を見つけます。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
この言葉を見つけた母親の気持ちやいかに
私個人で言えば、自身もイギリス人と結婚しており、娘が1人います。
つい自分の娘と重ね合わせ想像して、背中がヒヤリとするものを感じました。
子供が自分のアイデンティティを強く意識し始める思春期。
その彼が自分の存在の意味を考え始めた時に、ブリティッシュでありながら
「全くのホワイトではない」
と前置きし、
その後に「ちょとブルー」と添えてある。
「イエロー」「ホワイト」「ブルー」
それぞれの色は何を意味しているのか?
「ブルー」とは、気持ちが沈んだり塞いだりした時に使われる表現です。
それが自分はホワイトでイエローで、の後に続いている。
何か嫌な思い出もしたのだろうか、そんなふうに思う出来事があったのだろうか。
親なら(イエローサイドの)そう考えると思って不安になると思います。
自分の不安を子供にぶつけない
でもみかこさんは、実にカラッとしているというか、息子さんといい距離を保っている。
自分の不安をダイレクトに子供にぶつけたりしない。
問い詰めたり、過剰に心配したり、そんなそぶりも見せません。
言うことは言うよ!という姿勢
ただ、息子さんが意見を求めてきた時はズバズバと思うところを言う。
アイルランド人のご主人も遠慮なくものを言うタイプの方らしく、難しいテーマにそれぞれの思うところをストレートに言葉に出して話し合える家庭です。
問題にぶち当たった時、それで自分がどうするか、何を選ぶかは息子さん次第なんです。
その決定に親は口を挟まない。
貧困で生まれるゆがみが子供たちに与える影響
息子さんが通う学校には難しい家庭環境の子供が多い。
親が低所得で制服も買えなかったり、ランチ代も持っていなかったり、生理用ナプキンも買えなかったり、そんな子がゴマンといる。
それによって万引きに走る子供もいるし、貧しさを理由にイジメにあう子もいる。
家庭で虐待を受ける子もいる。
また子供のうちからドラッグに染まってしまう子もいる。
家庭環境がそうさせるケースが殆どです。
自分が生きる社会で理解する「本当の共感」の意味
子供ながらに社会の悪い部分を容赦なく身に受けている多くのクラスメート達。
その中で息子さんは「エンパシー(empathy)」というものが何なのかを学んでいく。
エンパシーとは日本語で言うなら「共感」。
それも相手の難しい立場を理解してその気持ちに共鳴できるという意味での「共感」です。
エンパシーはシンパシー(sympathy、同情の意味)とは違う、とみかこさんは強調しています。
エンパシーとシンパシーは別物と知る
みかこさんがその言葉をどう理解しているのか息子さんに尋ねた時、彼はこう答えます。
「人の靴を靴を履いてみること」
これは英語でよく比喩として使われる表現で、“Put yourself in somebody’s shoes.”
「靴」の代わりに「立場(position)」なども使われますが、息子さんの年齢を考えるとこの表現がしっくり来る。
これは言うほどに易しいことではない。
シンパシーだったら距離を置いて「可哀想に」と思うだけだけど、その人の立場になってみたら?
じゃあそこで自分は何ができるんだろう?
って考えるんじゃないか。
行動が伴うんじゃないか、って思いました。
作中で好きなエピソード(さわりだけ!)
あまりネタばれになりたくないのですが、私の好きなエピソードの一つ。
息子さんが、新しい制服が買えない友達にリサイクルの服をあげるか、あげるならどう渡すかにスゴク悩むところがあるんですよ。
この繊細さ。
12歳の子供だって相手の痛みを充分に想像できるんです。
またそれを一緒になって思案するみかこさんの応援ぶりも素敵です。
息子さんの気持ちは尊重しながらも、自分の思うところは意見としてバシバシ言う。
自分の考え、立ち位置がしっかりしていてブレない。
カッコいいなあ、と感心してしまう。
自分に置き換えて考えてみる
そしてワタシは自分の事として思わずにいられない。
「自分だったらどうだろう」
「自分は同じような事にどう向かっていただろうか」
加えて我がムスメのことも考えました。
みかこさんの息子さんより数年上ですが、まだティーエイジャー真っ只中。
この地に自分がこの人種として生まれた意味、色々思うことも、過去に思ったこともあるだろう。
「ちょっとブルー」な時も多々あったと思う。
今も多々あるのかもしれない。
子供には「自分で選べる人間」になって欲しい
でも自分の出自は変えられない。
私達は誰も自分が何処でどんな風に生まれるかは選べない。
そこでどう生きていくか、何を選ぶか、何にエンパシーを感じるかは自分次第なんです。
自分の子供にもそこで何を選ぶか、自分で決められる人になって欲しい。
願うのはただそれだけです。
そこで意見を求められたら?
その時ブレない立ち位置で自分の考えが言える大人でいる。
それが私の目指すところかな〜。
全てを受け止めて判断するのは当人なんですから。
「他人の靴を履いてみる」自分になれるか
自分がハッピーでない選択をムスメがした時どうするか?
それはまだ分からない。
でもその時「ヒトの靴を履いてみる」努力だけはしたいと思う。


この「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」はイギリスの地方都市の話ですが、日本でも他の国にいても、全く他人事ではありません。
子供がいる人もいない人も、若い人でも若くないヒトでも(私みたいに!)。
この本に書かれているのは作者とその息子さんの目を通して描かれる現代社会の側面そのもの。
どこの世界にも貧困はあって、そこで生まれる問題も一様ではないが似たものが多い。
日本にあっても格差社会は他人事ではない
日本など特に現在の貧困家庭の増加に加えて、これから来るべき多くの移民労働者との折り合いで生まれる問題が急増すると思います。
もちろんマルチカルチャーは良いところもいっぱいある!
多様性があることで受けられる恩恵もたくさんある!
でもそこに大きな格差が生まれると楽しいだけでは済まない問題が生まれる。
こればっかりは避けようがないんです。
決してそれらを無視できない時代がやってきます。
確実に、直ぐそこに。
自分がそこで何に共感していくのか
その中で何に共感して生きていくか。
自分ができることは何か。
考えさせられますよ、この本。
でも決してカタイ本ではありません。
登場する人たちのやり取りが生き生きとして面白いし、そこで使われる言葉もかなり刺激的。
(てか、イギリスではフツーなんだけど)。
笑えないことを笑いに変えたり、どんな環境でも「何とかする!」ごく普通の人達のパワーも伝わって来て救われる部分もあるし。
結局問題を解決に導くのは人とヒトの繋がりなんだな、と思わされて感動することもしきりです。
肩ヒジ張らないで読める本!
私がどうこう言うまでもなく、本書は既に「ノンフィクション本大賞」というのを受賞しており、課題図書にも推薦されている大ベストセラーなんだそうです。
まあそれを抜きにしてもオススメします。
そしてこの話を「海の遠くの国のこと」と思わないで欲しい。
ブレディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
肩肘張らないで社会について考えてみたくなる、それも面白く!
是非手にとって読んでみてね〜。
本を置くのも勿体無いぐらいの勢いで。