イギリス式窓掃除!?
「ビルの上まで伸びてるあの長〜い棒はなんだろう?」
棒は上下しているように動いており、先には何か小さく四角いものが付いていている。
先日ウェストエンドの裏道を歩いていたら、こんな光景に出くわした。
なんとこれは、二人の男性が窓掃除をしているのだった。
年配のオジサンが長い長いブラシで、ビル5階の窓を掃除しているのだ。
(多分…)
ブラシの柄は5メートル?
棒は5メートルはあろうかという長さ。
当然しなっており、その先に付いているブラシに力が入っているとも思えない。
掃除しているというよりは、ただ窓をブラシで「撫でている」という感じに見える。
その横にアシスタントなのか若い男性がポツネンと立って、一緒に上を見上げている。
(って見えんのかい!?)
確かにこれらの古いビルは、モダンな高層ビルのように屋上にウィンチで窓掃除の人を上から降ろす装備はつけられないだろう。
しかしこれしか方法がないのか?
天気も良かったこともあり、なんとものどかな光景というか、のんびりした様子(に見えた)。
意外に一般的な掃除方法?
同じようなシーンを近所でも見たことはある。
裏向かいの窓に向かってスルスルと伸びていくものがあるなあ、と目の端に留まったのだ。
それも遠隔操作された、不安定に動くブラシだった。
下で操る掃除人がブラシを懸命に上下させている。
向かいから見ても窓が綺麗になっている様子もなく、そんなに効果があるとも思えない。
綺麗になったのかどうかも遠くて確認のしようもないだろう。
てか、かえって汚れるんじゃないか?
どれほどの効果が期待できる?
それでも「外からのビルの窓掃除はそうしたもの」という習慣が昔から変わってないかのかも知れない。
実際にそれを頼む人もいるのだから。
一応プロに掃除を頼んだし、という気分の問題か?
文字通り首の骨の折れる仕事には違いないが、
「のどかといえば、のどかだなあ」
これもまたイギリスらしい、とその時もそう思った。
コールタールをドラム缶でかき混ぜる?
そういえばロンドンに来たばかりの頃(30年も前の話だけど)、
道路工事のコールタールを人が棒を使ってぐるぐるかき混ぜているのを見て驚いた覚えがある。
コールタールを入れたドラム缶の下にはそれを温めるバーナーの火が轟々と燃えている。
ものすごく力の要る作業だろうし、かき混ぜているオジサンは汗だくだ。
その熱いコールタールを今度はシャベルですくって道路に落とす。
ドロドロの溶岩のようなそれをレイクで平らに伸ばしていく。
仕上げ部分だけを小型の機械を使って表面をならしていたが。
(かなり適当に)
何でも効率化されているわけではないけれど
「道路工事のほとんどが手作業…」
イギリスはまだマニュアルな仕事が多く残っているのだなと、80年代のイケイケ日本から来た私には意外に映った。
本当は当時の日本だってそうした力に支えられているものが多くあったに違いない。
けれどそれをまざまざと自分の身近に見たショックのようなものを感じた。
「あの有名な煙突掃除だって、ガスが一般化されるまで人がやっていたんだもんなあ。そう遠くない昔の話だ。」
実際その頃はロンドンの地下鉄でも床やエスカレーターが木だったり、古いものが多く残されていた時代でもあった。
(これらはキングスクロス駅で大きな火災があったことをきっかけに、その後不燃性のものに換えられていった)
ロンドンは自分が想像していたよりずっとずっと古い都市だったのだ。
あれから30余年。
イギリスはIT化が急速に進み、ずいぶん変わった部分もある。
だがその一方まるで変わっていないものも多い。
「あの窓掃除もその一つかな」
窓掃除アシスタント青年もオジサンの仕事を見ながら覚えていくのだろうか。
職種によって10年後にはなくなる仕事も多いというけれど、あれは無くならないかも知れない。
アームのついたドローンでも開発されない限り。
人のマインドはそう変わらない
物は変わっても、人のマインドはそう変わらない。
変えよう、と思う気持ちがなければ何も変わらない。
合理化されたり、投資されるのはそれほどの需要がある、お金を生み出す可能性のあるものばかりなのだ。
そのほかのものは取り残されていく。
そういえば、道端に置いたドラム缶でコールタールをかき混ぜている光景にも近頃出くわした。
「まだあるんだー!」
小規模な道路工事だったが、30年前に見た光景とひとつも変わっていない。
これがロンドン、というかイギリスらしい光景ではあるけれど。
こういう仕事こそ、もっと安全に楽にできる方法を開発して欲しいよね〜。
オジサンお仕事ご苦労様です、頑張って!