「アーモンド」(ソン・ウォンピョン著)今の時代に生きづらさを感じている人に読んでほしい

「アーモンド」(ソン・ウォンピョン著)を読んで

本屋大賞2020年にも選ばれたという「アーモンド」(ソン・ウォンピョン著)を読んだその感想です。

なるべく先入観なしに読みたかったので、感想や批評などは全く目を通さず読み始めた。

読後感想はまず、読んで良かった。

すっごく感動したか?と言われれえば「うーん、どうだろう」かな。

でも宣伝文句にあるように、確かに読み始めたら止まらない内容なのだ。
設定がユニークだし、それぞれの章がとても短いのでサクサクと読める。

筋立てとしては涙なしには読めないとか、そういうこともない。(オバサンだしね)

でも読んだ後に色々考えさせられる内容だったので、それについて書きたいと思う。

(ちょっとネタバレ部分もあるので、これから読むので全く知りたく無いよ、という人はこれも読まないでね。)

アーモンド表紙

アーモンドって何を意味しているの?

主人公のユンジェは感情が全くない男の子。
知能は普通にあるが、脳の感情をつかさどる扁桃体が生まれつき未発達なのだ。

その脳の部分(扁桃体)がアーモンドの形に似ていることがタイトル名に繋がっている。

感情がないということは、「普通の人」が感じる喜怒哀楽というものが全くわからない。
恐れもない。

それがどういうことなのかも彼には理解できない。

そんな彼を社会に馴染めるように「教育」しながら必死に守る母親。
ガサツながら彼を愛し、面倒を見る祖母。

カツカツながらもそれなりの生活を送る三人暮らしが、ある「事件」によって激変させられてしまう…

人が基本に持つ感情って?

人には5つの基本感情がある。

喜び、怒り、悲しみ、不安、恐れ。

喜びがあるから生きることに楽しみを見出し、
怒りがあるから理不尽を正そうとする勇気が生まれ、

悲しみがあるから辛い出来事を深く受け止めて前に進むことができ、人への理解も生まれ、

不安があるから先への準備をしようと思い、

恐れがあるから危険なものを避けようとする。

喜び以外は皆ネガティブな感情と言えるが、それも皆自分を守るために生まれるものなのだ。

お互いにその感情を共有しあい、社会の秩序が保たれる力にもなっている。

感情がないとはどういうことか?

感情がないということは、嬉しいもなければ悲しいもない。

目の前で何が起こっても驚きもしないし、身の危険が目前に迫っても怖くもない。

大切な人を失っても嘆いたりしない。

子供がそばで転んで泣いていても、可愛そうという気持ちも湧いてこない。

そんな彼を周りの子供も大人も「モンスター」呼ばわりする。

人は自分が理解できないものを受け入れられないのだ。

感情がないとはどういうことか?

「ある事件」を境に彼は一人で生きていくことになる。

そこで出会う「もう一人のモンスター」ゴニ。

ゴニはユンジェと全く正反対の少年だ。

生い立ちが彼を深く傷つけていて、感情をコントロールできない。
粗暴な振る舞いで誰からも嫌われている。

でもそんなゴニからユンジェは目を離すことができない。
彼に深く関わってしまった理由があるのだった…

全く逆の二人の間に生まれるケミストリー

ユンジェとゴニ、「普通の社会」に受け入れられない二人がどう関わっていくのか。

二人の関わりが生み出すどんな変化があるのか。

人はコントロールできない自分とどう折り合いをつけて社会で生きていけばいいのか。

元々「無い自分」を演じるのは、自分にとっていいことなのか。

人は変われるのか。
変わることを成長というのか。

その先に見える景色は今までと違ったものになるのか。

社会に同調して中に溶け込むことが、生きる上で一番大事なことなのか。

それがこの本の大筋となっている。

感情を抜きにすることで見えるものもある

「アーモンド」が面白いのは、周りに「なんとなく気持ち悪くて理解し難いモノ」として距離を置かれる少年ユンジェがこの物語を語っているところだ。

感情の高ぶりがない彼から見える周りの人々とその行動。

私たちが人や出来事に対して最初にとる行動は、ふつう感情が元になっている。

嬉しかったり、驚いたり、キモッと思ったり。
程度の差はあれ、すぐに顔に出る。

それはリアクションだ。
感情からくる反射であり、その瞬間は事実をそのまま受け止めていることは少ない。

人は多くの場合、感情を通して人やものを見る。
感情は先入観や偏見を生み出し、本当の姿をぼやけさせたり捻じ曲げることもある。

特に恐怖や嫌悪感につながる場合はその度合いも大きい。

他人に対しては、それで人をジャッジしている。
そこで生まれる関係は、感情抜きのものよりずっといいものなんだろうか。

ユンジェが観る世界が本当なのか?

感情がたかぶらないからといって、ユンジェは冷たい人間なのか?
人を愛することはないのか?

他人と共感しなければ、人は正しい行動を取ったことにならないのか?

そこが作者の追うところで、わたしたちに投げかけられたテーマのように見える。

テレビで悲惨なニュースを見て、一時の同情を簡単にするが、次の瞬間には何事もなかったかのように振る舞える自分はどうなのか。

感情があるからといって、それは私を正しく導いているのか。
(むしろ邪魔になっていることの方が多くね?)

同調圧力を共感と呼ぶのか?

私は韓国の社会は知らないが、日本の社会で言えば常に同調圧力にさらされているように見える。

学校でも職場でも周りの空気を読めないと、すぐに「変なヤツ」になってしまう。
それがイジメの対象になることも多い。

なるべくコトを起こさず、周りに倣う、それが一番安全。
その場で浮かないように、一生懸命周りに合わせている。

「共感」はなくても「同調」する。
個よりまず全体を考えるのが日本の社会なのだ。

それが必ずしも悪いことばかりではないけれど、「ちょっと違った」人たちにはとても生きづらい世の中でもある。

感情のバランスって?

でも全ての感情にバランスが取れた人など存在しない。

自信満々に明るく振る舞っているように見える人も、内面は恐れからそう努力しているというパターンもある。

一見クールに見える人も、実はとても情に熱く、それを人知れず行動に移している人もいる。

外から見えることなど実はほんの一面なのだ。
そして私たちはそれを本当は知っている。

なのに他の人をその一面でジャッジしてしまうのはなぜだろう?

ストレスマックスだと感じているのに?

皆んな何かに少しずつ、または大きく偏っているものだ。
それでも大概の人は自分に折り合いをつけ、その場に馴染もうとする。

学校や職場、ママ友の集まり、周りに無理やり自分を合わせようとして、すっかり疲れてしまっている人も多いと思う。

「もう限界だーっ!ストレスマックス!」と感じている人も多いんじゃないか?

変われない人もいる

一方、そうできない人もいる。

ADHDのように、脳の仕組みで感情と体のコントロールができない人が実はとても多いと今では認められている。

私自身のことを言えばかなりアンバランスで不注意な人間だ。
「よくあの時無事で済んだ…」と冷や汗混じりに思うこともいくつかある。

昔、日本の学校や職場で馴染めなかったこと、

当たり前のように見えてなぜかできなかったこと、

どうしても納得できなかったことの数々…

「あれはそういうことだったのかも!

思い当たることが幾つもある。
今でも色々ある…(汗;)

ユンジェは私たちの代表?

感情を持たずに生まれてきたユンジェは、感情に振り回されて生きている私たちの対極にいるのだろうか?

本当に理解できない存在なんだろうか?|

いやむしろ、感情を持て余して生きている私たちが照らし合わせるべき相手なのだと思う。

ここで大事なのは何か?
今思うべき人は誰か?
自分が守りたいものは何か?

それを考える指標になるのは、最初のリアクションからくる感情の、もっと奥にあるものだ。
ユンジェは考えて出した結果をを行動で示すことを知っている。

ユンジェにどんな未来があるのか?

ユンジェを理解したいと思うキャラクターがこの話には登場する。
そこで彼が経験する新たな変化とは?

あまり話すとネタバレになるので、あとは読んでのお楽しみ、ということで。

涙するほどではない、と冒頭に書いたけれど、読後感はとてもいい。
人生はそう捨ててものではない、信じる気持ちと行動する勇気があれば、という話だ。

若い人にも、そうでない人にもお薦めします。

自分の内面と向き合ってみたい方々は特に。

暗いばかりの話ではないので、ぜひ読んでみて〜。