マラドーナ選手の訃報に世界中がショック
アルゼンチンの英雄マラドーナ氏が亡くなった。
心臓発作で自宅で倒れてから病院に運ばれ、とうとう回復する事がなかったという。
享年60歳という、あまりに若い死。
アルゼンチンの英雄マラドーナ
マラドーナといえばフットボール史上最も優秀な選手の一人。
フットボールに疎い私でも知っている選手だった。
アルゼンチンをW杯優勝に導き、チームを世界トップレベルに引き上げた。
アルゼンチンだけでなくフットボール界のスーパースターだった。
イギリス人に憎まれ続けた
彼の訃報はアルゼンチンだけでなく世界中にショックと共に飛び交ったに違いない。
もちろんイギリスBBCにも。
実際マラドーナほどイギリス人に憎まれていたフットボール選手はいなかったと思う。
1986年、イギリスとアルゼンチンの決勝戦。
奇しくもそれは、イギリスとアルゼンチンがその領有権を争ったフォークランド戦争の4年後だった。
悪名高き「神の手」
その決勝試合での「神の手」とも呼ばれた、マラドーナ選手の「ハンドボール・ゴール」はあまりにも有名だ。
訃報を伝えたニュースでも必ずそれを引き合いに出していた。
ゴール側イギリスの選手と攻めぎあった後マラドーナが決めたゴール。
彼が振り上げた手でボールを押し込んだ、とゴール直後にイギリス側からクレームがついたのだ。
当時はビデオ再生判定もなく、審判の判定でゴールは有効となった。
もちろんイギリスチームは大激怒。
審判に食い下がったが、一度降りた判定は覆されることはなかった。
フットバール史上に残るパフォーマンス
不満の残るイングランド。
その後マラドーナはフットボール史上に残る伝説的なスーパーパフォーマンスを見せる。
なんとフィールド中盤からタックルに襲いかかるイングランド選手を続けざまに5人(!)抜いてゴールを決めたのだ。
その映像は今見てもスゴイ!
ボールを蹴りながら疾走するマラドーナ選手。
それを止めようとするのは小学生ではない、決勝まで勝ち残ったイングランドのプロ選手たちなのだ。
それを一人抜き二人抜き、三、四、五人と鮮やかにかわして弾丸のように走るマラドーナは本当に素晴らしかった。
BBCアナウンサーも賛辞を
ゴールを決めた瞬間は、中継のBBCアナウンサーもさすがに
「これは全く文句なしの素晴らしいゴールだ!」
と賛辞を贈っていた。
それはそうだろう。
こんな選手は他にいない。
あの悔しさを忘れないイギリス
結果、アルゼンチンが1986年のW杯の覇者となり、イギリスは辛酸を舐めたわけだ。


そう称えるイギリス人は多い。
「アレがなかったらイングランドは勝っていた」と信じる人も多いはず。
またそう思いたいのが人情でもある。
事実は事実、判定は判定?
実際、後のビデオ検証では、明らかにマラドーナ選手の手はボールにぶつかっていた。
見ようによっては頭上にあったボールを手で押し込んだようにも見える。
勢いのアクシデントだろうが、わざとだろうが、ハンドボールはハンドボール。
それがルールなのはもちろん彼だって承知だ。
だがマラドーナはアルゼンチンの利益を選んだ。
審判はそれを認めた。
そういうことだと思う。
そういった経緯がありながらもマラドーナ選手のファンも多かったには違いない。
それだけ大した選手だったのだ。
神に愛された選手
彼の訃報があった翌朝、BBCは1986年イングランド選手の一人にズーム・インタビューをしていた。
もちろん「ハンドボール事件」のわだかまりは消えていないのは見てとれた。
「あのゴールが無かったら勝ったのはイングランドだったはずだ」
とイギリス人の誰もがそう信じている試合だ。
それでも氏は、
「彼はやはり神に愛された選手だった。あの才能は神から受けたものだった」
と語っていた。
神に愛された若者も、その後成功とともに酒やドラッグに溺れることになる。
ドラッグが理由で15ヶ月の公式戦出場停止。
一旦更生したかにも見えたが、1994年イギリスで開催されたW杯では、ドラッグの陽性反応が出て出場停止に。
またその3年後には再び同じ事が起き、ついに引退に追い込まれた。
国民の英雄であることに変わりはない
そうして迎えた早すぎる死。
彼のライフスタイルがどう影響したのかは知る由もないけれど、60歳はあまりに若い。
アルゼンチンの人々が大勢広場に集まってマラドーナを追悼している映像がニュースに流れていた。
誤審も含めての神の審判?
フォークランド戦争でイングランドに敗れたアルゼンチンが、ほんの4年後にW杯で雪辱を晴らす。
こんなドラマチックな展開が他にあるだろうか。
誤審あったとか、本当はこうだったのだとか、結果は結果。
それはつまり神の審判。
尾を引くフォークランド戦争の確執
フォークランド戦争では、領海侵犯を警告されたアルゼンチンの軍艦がUターンをして引き返し始めたところにイギリス軍が魚雷を発射させている。
この魚雷攻撃によってアルゼンチンの船は沈没。
悪天候の中700人が救助されたというが、冷たい海で300人のアルゼンチン兵士が亡くなった。
戦争といえども「後ろを見せた敵を撃つ」のは明らかにルール違反。
だが退く敵への魚雷発射はサッチャー首相の判断による命令だった。
「その時」最優先させるものは何か
この審判を誰がするのか。
のちにサッチャーは引退後、これについての判断が正しいものであったか、ジャーナリストのフロストに質問を受けている。
彼女は
「イギリスという国を守るのが私の使命だった。もし同じことがあっても同じ判断を下す」
と答えていた。
それはそうだろう。
あれは間違いだった、フェアじゃなかった、ごめんなさい、といってイギリス国民にどう言い訳するのか。
誰を喜ばせるのか。
彼女は自分が信じる国益を最優先させたのだ。
敵国アルゼンチンに多大な犠牲を払わせて。
結果は結果、次行ってみよう!
何だかマラドーナの話がフォークランドの話に飛んでしまった!
でも何があっても起こってしまったことは変えられない。
私たちはそれを一旦受け止めてそこから何をすべきか選択していくしかない。


あれはあれだよ、悔しかったのは分かるけどさあ〜。
最後にイングランドが優勝したのは1966年。
20年ぶりの快挙を逃したのは残念だけど、もう四半世紀前の話だ。
最後の最後までアルゼンチンの英雄だった
マラドーナ氏もドラッグから更生しようとしたり、またダメになったり、また頑張ったり、色々な変遷を辿ったのだろう。
でもそれはもう当人と彼の家族の問題。
私たち外野があれこれ詮索することではない。
それにしてもなんと太く短い人生。
彼が倒れて家族が救急車を呼んだら、いっぺんに6台も家に到着したそうだ。
紛れもなくアルゼンチンの英雄、大大大スターだったよね。
フットボールって面白いんだ!と初めに私に思わせてくれたのもマラドーナだった。
今頃はきっと、神さまの元にいるよね〜。
マラドーナはフットボール選手として失格だ!