ズボラなヨメのススメ
先週末は、ウェールズに住む夫の両親宅で過ごしてきました。
楽しい2泊の小旅行といった感じ。
一つ残念だったのはお天気がイマイチで散歩に出られなかったことぐらいかなあ。
今頃野生のガーリックの白い花がたくさん咲くところがあるのだけど。
冷たい雨の中、ぬかるんだ林の中を歩く気になれなくて、今回はパス。
週末を義父母宅で過ごすと言えば
夫の実家で週末を過ごすなんて人にいうと、
「まあ〜、それはそれは」と、ちょっと「ご苦労さまです」的な反応をされることがままあります。
ロンドンから片道4時間近くかかる部分は確かにめんどくさい。
でもそれさえクリアすれば後は天国。
夫の両親宅で私はひたすら、
食べて〜、
飲んで〜、
夫が庭の芝刈りなんぞをしている間、
好きな時に本を読み、
好きな時に昼寝をする。
「ディナーの用意が出来たわよー」の呼び声に「はーい」と返事をしてテーブルに向かう。
義母はとても料理上手で研究熱心。
毎回訪ねるごとに新しいメニューを披露してくれます。
思いっ切り食べて飲んで、食べ終わったら義母の制止をモノともせずゴリ押しで皿洗いをする。
(単に体がナマるから)
「食後酒飲むか?」と義父に聞かれれば「飲みますとも!」とブランデーを受け、
「チョコも一緒にどうだ?」のススメあれば「食べますとも!」とすかさずいただく。
お喋りに疲れて眠くなったらサッサとおやすみなさいを言って、本を片手にベッドに行く。
最低8時間は寝る。
長い結婚生活の末に学んだこと
夫の家族に加わって今年で25年。
両親は、それはそれは優しい気遣いをしてくれる人達ですが、全くのヨソ者の私が溶け込むにはそれなりの紆余曲折がありました。
外国人の私が、と言ってしまうと少し語弊があるかも知れない。
同じ国の者同士だってヨソの家族はヨソの国と同然ではないかしら。
違う習慣、違う考え方、違う価値観。皆それぞれです。
長い結婚生活の末に学んだこと
私はただ、ある時から「良いヨメ」に 見られたいと思う気持ちをスッパリ捨ててしまったんです。
「良い嫁」って何だろう。
季節の挨拶は欠かさず、夫の実家に伺えば誰よりも早く起きて家事を手伝い、絶えず先回りして何か手伝えることを探す。
食事の支度あれば実家の「家庭の味」を習うなどして、とにかく夫の母と一緒に台所に立つ。
夫の兄弟姉妹あれば同様に気を使い、姪甥あればそっとお小遣いを包む。
今は違うのかな。
でも日本において私のような昭和世代はそれが当たり前、これぐらいやって当然のことでした。
風呂に先に入るなんてとんでもないってやつです。
良く見られたいという自分のエゴ
もちろん日本とイギリスの違いはあります。
だいたいこちらに「家のヨメ」という感覚は無い。
個人対個人の社会です。
でもそれよりも何よりも、「いいヨメ」になろうと緊張して過ごすより「ただハッピーでいる」方がずっと大事だと思ったんです。
良いヨメぶるのは、気の利かない女だと思われたくない自分のエゴだと気がついた。
共有したいこと、そうでない事を考える
こちらが「いい」と思ってやることが相手にとってそうとは限らないし、家族同士と言えども「ここからこちらに入って欲しく無い」という意識だってある。
何でもかんでも共有する、というのが家族という訳ではありません。
こちらが緊張していればそれは相手にだって伝わります。
おもてなしは思い切りありがたく受け止める
ならば、相手の「もてなしたい」という気持ちを遠慮なく(謹んで、ではなく)丸ごと受け止める。、=
それを思い切り楽しんでいる方がよっぽど喜ばれる。
こちらがもてなす立場になったらその時はまた、うんと気持ちを込めればいいんです。
こんな風に考えるようになるにもしばらく時間がかかりましたけどね。
私は日本で育った旧世代ですから。
トシ取って単にズーズーしくなったとも言えるけど、もっと早くそう考えられていたら、と思います。
ずっと楽になったし、両親との関係ももっとリラックスした、親しいものになったと思う。
夫の実家を訪れるのも、より気軽で楽しいものとなった訳です。
これを私の実家の母に話したら、さぞかし呆れられるだろうな〜。(汗)