エディブルフラワーを敷き込んだパスタの美しさに感動!
ほぼ日で楽しみに連載を読んでいる、「イタリアンマンマの直伝レシピ」で見た世にも美しいパスタ。
イタリアンマンマの直伝レシピ_お花入りパスタ
春色パスタは生地から手作りで
パスタ機で薄く伸ばした生地に春色のエディブルフラワーやハーブを散らし、その上にもう一枚生地をピッタリ乗せる。
2枚貼り合わせた生地を馴染ませるように伸ばし、それを短冊に切って茹でる。
花入りパスタにかけた鮮やかな緑のそら豆ソースとリコッタチーズの白が合わさって、それはそれは美しい、春色の一皿。
骨を惜しまず豊かな生活
なんとこの人は豊かな生活を送っているのだろう。
イタリアに住んでいるから生活スタイルが違うのよね、とか、
元々アーティストだからよね、とか、
パスタ一皿にそんな手間をかける時間があるのよね、とか、
そういう話ではないのだ。
なんというか、
この人は自分の仕事に骨惜しみをしない。
手間をかけて料理を作りたいと思っているのか、
そもそも手間を手間と思わないのか、
その辺は分からない。
(ひょっとして両方かも!?)
イタリアの家庭料理の奥深さ
月に2度ほど更新されるこの連載を楽しみに読んでいる。
ミラノ在住の木戸愛さんという方のエッセイの語り口の優しさもさながら、毎回紹介される家庭料理を見るのがとても好きなのだ。
イタリアの家庭料理が中心で、自家製パスタ、肉、魚料理、デザートととても幅が広い。
材料はシンプル、高いものは殆どなく、季節のものが多く取り入れられている。
自分でもあわやパスタマシーンを買いそうになる
度々紹介される自家製パスタがあまりに美味しそうで、自分でも試してみたくなり
何度アマゾンでパスタ機をポチりそうになったことか。
その度に我が家のキッチンの狭さと、飽きっぽい自分の性格を考えて踏みとどまったのだった。
(でもまだ密かに憧れてはいる)
別に自家製で何でも作れば豊かな生活が送れると言っているのではない。
忙しい時こそ
誰でも忙しい生活をしている。
時間なんていくらあってもたりない、多分愛さんだって。
ただ愛さんの料理を見ていると、この人は何が自分を楽しく豊かにするかを知っているのだなあ、と思う。
いつもシンプルなようでいて、実は結構手がかかる(私のズボラな基準ではね!)ものが多い。
豊かな生活というのは、物の話ではなく、心が満たされているかどうかなのだと思う。
「足るを知る」というけれど、あるものの価値を認め、それに感謝する。
欲しいと思っているものは実は身近にあり、その価値を享受した時に真価を発揮する。
自分の生活を豊かにする術を知る
なーんて書くとクドイけど。
身近にあるもの(自分自身も含めて)に感謝しながらその価値を生かしていくのが、自分の生活を豊かにしていくということではなかろーか。
分かっちゃいるんだけどね。
コロナでロックダウン生活が長引いていたのもあり、自分の生活が狭い世界の中でパターン化してしまっているのを感じていた。
同じところをぐるぐる回っている間に、「自分には何もない」ような閉塞感に囚われることが度々あった。
まだある。
そこに来て毎日の料理となると、そりゃーひどいもんです、ハイ。
どうでもいい、が自分を苦しめる?
頭を使うのが面倒になり、手間を惜しむ。
そして同じメニューの繰り返し繰り返しになる。
同じ仕事でも嫌イヤやっていると余計辛い。
おまけに注意を払わなくなっているので粗雑になる。
そんなループ地獄から自分を救うのは、結局自分の仕事に注意を払うということだ。
つまりは骨惜しみをしない。
やること全部にとは言わない。
私にはそんなエネルギー無いし、到底できない。
でも「これには骨惜しみしない」と一つでもあれば、自分の生活は全く違うのものになるんじゃないかな。
お花入りパスタから色々と妄想が広がってしまった。
かくも骨惜しみしない料理とは、人の心を打つものであります。