急ぎの虫、お腹に住まわせてますか?
何か始めたらとにかく早く終わらせたい人。
別にゆっくりやったって、何の問題もないのにとにかく一刻も早く終わらせたい。

朝6時前には家を出て、近くのヒース、オープンな自然公園みたいな所へ行く。
ロックダウン中でも1日1回の屋外運動はよしとされている。
だってメンタルヘルスも大事じゃないの。
特にフラット住まいの我が家には庭もバルコニーもない。
散歩でも急いじゃう?
が!

ウォーキングという名の散歩だったはずじゃないの?
朝早くウォーキングに行く理由は2つ。
早朝は人が少ないこと。
人と2メートルの安全距離を確保する、なんて気を使う必要もない。
2つ目は丘の上で朝日が昇る瞬間を見れること。
これはロックダウンの思わぬギフト。
長年ヒースの近くに住みながら、わざわざ朝日を見に出かけたことなどこれまでなかった。
春という季節柄、花も咲いてるし、鴨なんかがウロウロと芝を歩いたりしている。
せっかく外に出たんだし、空気もきれいなんだからゆっくり深呼吸しようよ。
写真を撮りたい時などなるべく素早くケータイを構えて撮ったりするのだが、夫は既に5メートル先でこちらを待っている。

(と声に出さぬまでも顔がそう言っている)
一つのことにしか集中出来ない男性脳のなせる技?
それはそうだろう。
が、夫が急ぐ理由はそれだけではない。
要は、目的地点に到達することだけしか考えられないのだ。
多分、一つのことにしか集中できない男性脳のなせる技だとは思うのだが。
A地点から出発した後は、B地点に最短最速で到達しないとミッション・コンプリートにならない、そういうことだ。
まあエクササイズを兼ねたウォーキングには違いないけれど、そんなに急いで何処へ行く。
ぐるっと回って後は家へ帰るだけではないか。
伊丹十三さんがいう「急ぎの虫」
先日、伊丹十三さんの「女たちよ!」を久しぶりに読み返していたら、正に「急ぎの虫」というタイトルのエッセイが載せられていた。
これが笑える!
氏は車を運転していると、隙あらば次々に前の車を追い越して進まずにいられないご自分の心境について書いておられる。
助手席の女性が
「飲み物が買いたいからお店に寄って欲しい」
そう言っても、何かしら言い訳をしながら幾つもいくつも通り過ぎてしまう。
とうとう最後にあきらめ、どこかに車を停めようものなら、今までせっかく追い抜かした車が横でバンバン通り過ぎて行くのを見る。
それがもう、悔しくて仕方がない!
損したような気分になってしまう。
そんな事はないのだと分かっていながら、十三氏のイライラはどうにもならない。
氏がタクシーの運転手さんから聞いた「つい腹が立ってしまう」エピソードなども織り交ぜられており、
「どうしてそんなにも急がずにおれないのか」
という男のサガみたいなものが語られており、このサガを「急ぎの虫」と呼んでいる。
「そう!そう!」
と言いながら読んだ。
急ぎの虫かあ……正しくそうだ。
とりあえずの目的さえ果たしてしまえば
私の夫と言えば、一旦「丘の上で朝日を見る」のだけ済ませてしまえば、比較的リラックスする。
私が写真を撮っていても5メートル先まで進んでいることもない。


それでも家に向かう頃になると、今度は家がゴールになってまた歩調が速くなっていく。
家に近づけば近づくほど加速して行く。


自分の「急ぎの虫」とどう向き合う?
男にはより顕著に表れるけれど、やはり女にだって急ぎの虫はいると思う。
特に夕食の支度をしている時など、キッチンに夫や娘が入ってきて要らぬ雑談など始めるとイライラして仕方がない。
「とにかく終わらせたい!最速で最短!」
もうちょっと気持ちに余裕が生まれたら、人生もっと豊かになるかもしれないのにね。
自分にも周りにもストレスかけてどうする。
反省を込めてそう思うんだけど、後になってから。
そういえば「疳(かん)の虫」とかもあった。
意味もなく機嫌が悪くなると、「疳の虫が騒ぐ」などと言ったものだ、昔は。
(今はあまり聞かないね)
急ぎの虫といい、疳の虫と言い、
自分の人格とは関係のないところに、ひとは原因を見つけたがるものなのかなあ。