人との共感、共有意識を日常で感じる時ってどんな瞬間?

人との共感を日常で感じる時ってどんな瞬間?




長いロックダウン生活が与える大きな影響って?

コロナによるロックダウンや規制された生活に入って早くも9ヶ月。

「人との直接的な交流を積極的に避ける」

こんな生活に閉塞感を感じつつも、だんだんそれに慣れてきてしまった自分もいる。

社会と長く関わらないでいると、何だか外に対する興味まで薄れてきてしまう。

これじゃいけないと思いつつも

「何だかニートなワタシ。まずいんじゃないの、これ」

自分が何ものにも属していないような。
どこにいるか分からなくなってしまう時がある。

助けは外にある、目を向ければ

それでもやはり助けの手はあって。

フト見上げた空の色であったり、

それを通りがかりのおじいさんと、

「キレイですね」と笑い合った時だったりするのだ。

ああ、ワタシもまだ何かとつながっているんだなあ。

共有とか共感とか、言葉にすると固く響くけれど。

実際はこんな些細なことで良いのだと、

閉ざしているのは社会ではない、
自分の気持ちの方だったのだと。

そう思ってまた今日を続けている。